2011年10月11日火曜日

飯田です。
先週は御心配おかけしました。
いわゆる職業病みたいなやつで、ロードバイクやスキー、スノボーとかやってるとなるらしくて、ちょっと病院に行くのが遅かったみたいで、安静療養状態に。

卒制ですが、初めに考えたのは、冒険家の事で、身一つで自然界に入っていく感じが近いと思いました。
そこから、自然界に入る事を考えた時、僕はロードバイクやウインタースポーツをやっている時に、感じる感覚が似ているかなと思いました。基本、これらをやるのは人の少ない明け方好きなんです。何故かというと自分自身は居ますが、人間が居ない時間、そこは人間という境が無く自然界と人界の物しか無くて、それが、自分が転倒して死ぬかもしれないくらい高速で動き、その恐怖を超えた時に、景色が自然界も人界も無く溶け出して混ざり合って見える感覚、景色が紫になるというのを、より安全な方法で視覚化できないかと考えました。
自分がロードバイクに乗って、その感覚になるまでの鼓動と映像がリンクするとかを考えたんですけど、なんかパフォーマンスの要素が強すぎて、断念しました。ただ、感覚を視覚かするというイメージは使えそうな感じが。
その後、考えたのは、昔やっていたクモの巣を使った遊びで、クモの巣に軽い部材、例えば小枝とか枯れ草や木の皮等を投げ付けていき、クモの巣が崩れたら負けという海賊危機一髪風の遊びで、久々にやってみたといか、闇雲に投げるのではなくて、イメージを持って、やったんですけど、クモの巣って、伸縮性があって、なかなか思い道理に行かず、全くイメージと違う物になり、結局は下に落ちて崩れたのですが、その作品?が、その時にしか、それも開催日とかそういう物ではなくて、クモの巣の耐久性によって成り立ち、その時が終わった後、人の作り出した人界の作品が、自然界に腐葉土という形で還り土壌を豊かにする、それがやりたいと思いまして、枯れ草を燃やした灰と水を使いたいと思いました。

2011年10月1日土曜日

面白いと思う意味

昨日、作品を作っていて自分が楽しかったことは何かと聞かれたので、
今日、それについて考えていました。

結論からいうと、作品を作る意味を作るのが楽しかったのだと思います。
それは、作品が作られる前に色々とどうするのかを決めて、
作る時期、作る場所、遊ぶ場所、壊したあとの使い道、
自分の手元にどうやって残すか。
それを考えることのほうに多くの時間を費やしていました。

最初は木材を手に入れ、それで何かを作ろうと思ったのが最初だと思います。
次に考えたのが、自分が作品を作ったとして、何の意味があるのかを求めました。
それは、作品を作る理由と、作品をどう用いるのかと、作品をどう終わらせるのか、
そのプロセスが必要だったわけです。

それからしばらくして、椅子の形をとることになります。
デザインだけ見ると、明らかに巨大な椅子を想定して作っていますから、
はじめからそう作ろうと思っていたことは明らかで、
椅子の座る部分も、丁度七号館の半二階のところと同じ高さで作っていました。
工業規格のスタディ模型が1/5というのも、
後から思うと、自分が家具として用いるためと、手元に残すために決めたのだと思います。

作る場所と残す方法を最初に決めたとすると、
次に決めたのが、人をどう巻き込むかで、これは去年知り合った宇宙部のメンバーが
確実にお月見がとても好きなので、椅子の上に人を乗せて飲み会をすることを
約束に手伝いをお願いして、作品でどう遊ぶのかを決めました。

それから、どう終わらせるのかを考えたと思います。
これは(工業規格)のところで、日用品にしたこととは別に、
作品に使用した材料を、どうやって処分するかということです。
私は、ここに一番悩んだのですが、
今現在、芸術祭デザイン部の木材の一部になっています。
芸祭の屋台にする予定だったのですが、宇宙部に芸術祭デザイン部の人がいて、
その人と椅子の上で話をしているときに、ここで終わりにしようと決めました。
作品を見せて、乗せて、すぐに壊して、作れる材料をあげちゃったほうが、
後々面白くなるだろうと思い、そうしました。

製作を終えて、今は
椅子(実用品と模型)が手元にあり、
一緒に作ったり、遊んだりした友人を作り
材料を次につなげたことが、
面白かったと思うのです。

作品を作る意味が、意味を作る過程に変わっていって、
自分の作るものをどう生かして、次につながるかを考えて、
意味をつけたのだと思います。

(石)