2011年9月30日金曜日

中間提出



もう一枚ありますが、文字だけなので割愛します。

内容を要約すると、
何気ない風景にも継承すべき記憶があるのではないか、みたいなことです。
青森から宮城の沿岸にかけて、「此処より下に家を建てるな」と刻まれた石碑がいくつか見つかりました。
しかし実際に石碑の下にも住宅があり、結果として破壊されてしまいました。
震災に限らず、過去の記憶や経験は未来の指標となるものだと感じます。
それはグローバリゼーションにもいえます。
都市固有の文化や生活が失われ、グローバルスタンダードに豊かさはあるのか。
渋谷の街角もそうです。
音楽シーンをつくってきたHMVはメディア時代の変換期になくなりました。
いま音楽と都市との関わりはありません。
情報空間の広がりも関心があります。
「リア充」の言葉が示すように、現代の人の意識は実空間と仮想空間に分けられます。
。。。
ソンナカンジナで野田でした。

中間発表 事前報告





簡潔に言うとこういうことになると思います。

テーマは(心の)距離 コミュニケーション


代でした



2011年9月29日木曜日




空間、場所を考えていくと、空間があるから場所が存在し場所を認識するには空間が存在することになるなと思い、あえて割切って考えずひっくるめてテーマに日常を選択しました

プレボ自体はダサいので若干変更しますが、文章の内容自体は大体同じです。
石郷岡です。
明日発表するデータをブログアップします。
一部のデータが添付できなかったので、それは明日添付します。

それと明日持っていく実験装置(模型)も載せておきます。



抜け(見え方)を検証する装置で枠を抜き差しして、見え方を操作するものです。
飯田です。テーマは、自然界へ介入し、世界を自然へと回帰させるです。

2011年9月27日火曜日

土屋公雄スタジオの皆様へお知らせです。

9月23日、「東京散歩・隅田川クルーズ」はお疲れ様でした。


さて来週30日(金)、4年生卒業制作中間発表ですが、プレゼは例年のよう全員が土屋スタジオ共通のフォーマットでお願いします。尚、プレゼに関しましては、各自が事前にブログ・アップしてください。その際研究テーマは明快な表現でお願いします。・・・・・土屋公雄

2011年9月24日土曜日

設計計画Ⅲツアーコンダクト

昨日は
横綱町公園→フェリー乗り場→浜離宮→築地市場駅→勝鬨橋駅→勝鬨橋→築地本願寺→築地駅→日比谷駅→東京駅前・丸の内ビル
と歩いて東京めぐりをしました。

要するに、土屋先生の作品と伊東忠太の建物と隅田川にかかる橋を見て歩きました。




空襲慰霊碑の説明をする先生


記念館


橋の下

勝鬨橋からの写真

丸の内通り

2011年9月17日土曜日

昨日のコンセプトの派生

昨日話した事の原本をブログに挙げておきます。

・建築の内と外の境界から生まれる境界線を表現する。

建物があるということは、建物によって内側と外側に空間が区切られている。

人は自分の部屋などの内側では、家具が置かれていたり、着替えたり、寝たりしている。そこからドアを開けて街に出ると、そこでは部屋の中でのふるまいはせずに、必要なモノを鞄に詰めて、道路や歩行者に気をつけて、目的地まで迷わないように考えながら行動している。

その内と外の関係は、どこかで明確に境界線が引かれている訳ではない。たとえば一番近くのコンビニに行く為に、パジャマで行く人もいるし、上着を羽織ってから行く人もいるし、きちんとした格好に着替えてから行く人もいる。
また、自分の家の近くにあるコンビニに行くためだけに、山登りの準備をすることはないし、サンダルで富士山に登ろうとする人はいない。境界線は個人の間隔や経験に左右される事柄であり、人間の共感できる範囲に収まっている。

そしてそれが、建物ではなく、建築という定義によって内側と外側に空間が区切られている場合には、建物よりも大きな共同体や会社、集落や商店街をひとまとめに内側とすることもあるし、建物の部分である部屋や、自分に当てられた椅子と机のワンブースを内側と区切る事もできる。(その場合、外側は”内側ではない範囲”である)

私が表現したいのは、内と外の空間から出来る建築の境界線であり、自分が認識している意識の境界線である。いま自分が内側にいるのか、それとも外側にいるのか、それともちょうど境界線の上にいるのか、開いたままの扉に位置にいるとき、それは両方の世界を認識できる位置にいる。それは人工的に区切られた世界にいる限り、どこにでもある建築の境界線の上にいることになる。

・ここまでが昨日話した事です。
その後の返答は、それはわかるけれど、結局何をするのか言ってない。
(私も何をするのかわからない)
で終了しました。

この後、私は例としてあげたのが、武蔵野美術大学の廊下のことで
「廊下は部屋と部屋との間にあって、部屋の中で何をしているのかはわからないけれど、人のいる気配がして、外に材料や作品が置いてある。一度入った事があれば、どんな人がいるかわかるし、わからなくてもどの学科の人が使っているか知っている。知らない人とすれ違った時も場所や服装で、どこに所属している人なのか思い浮かべてる。」
と言ったような気がします。

椅子は無事(コンセプト的に)完成し、解体しました。
加重の問題は大丈夫でした。10人乗りましたが、軋みもせず、持ちこたえました。

今の所はここまでです。

2011年9月15日木曜日

建築と建築でないものの境界

実験中に偶然取れた写真です。
境界としては面白いですが、コンセプトと一致するかどうか
まだわかりません。





















ゼミ室の荷物を収めるために棚を三つ作りました。

























昨日作ったのですが、何年も前から作られたかのようなボロさです。

カレンダはまだ作っていません。



椅子は18日(土)に解体することにしました。

十分役割は果たしたと思います。


それで、本題の卒業制作をどうするかは

今は


建築の内外と

①建築

②建築の外にあるもの(自然災害、自然環境、天体の運行など)

③建築の内にあるもの(人間、保存品、信仰対象、オアシスなど)


それぞれの境界を

①と②、壁や塀など(防衛(と侵攻)の意味が大きい)

①と③、窓や扉など(交流(とプライバシー)の意味が大きい)


調べる。


おそらくその境界線に

自分の建築感があると思います。

図面や模型としての技術、授業から得た知識とは別のことで、

自分の目で感じた境界線を表現する。


今は、橋か線路、(川や街の境目)もしくは、ムサビ内の廊下や路地裏、(部屋と建物の境目)

などを調査対象にする予定、(椅子解体後)


以上です。

2011年9月10日土曜日

後期に入りました。

















後期に入ってから最初のゼミです。


この日はそれぞれの方向性の発表を行ないました。



 モノを作ることで空間を表す。


 建築と建築でないものの境界を調べる。


 自然を攻める。


 人の心の距離を測る。

野田

 タイムアップ


以上です。